昨日は閉館の少し前に武蔵野プレイスを発見してちらっと見ただけだったから、今日は弁当を持ってお昼から行った。川沿いを歩いて、緑道はもう梅が咲いている、前に大きな鯉がいた、名前が分からない橋の下の川には、前よりも何倍もの数の鯉が。昨日読んだ『コルバトントリ』の中で堀に住んでいる鯉を魚雷見たいと形容してたけど、今日見た鯉の大群は魚雷以上にデカかった。

太陽が身体によく当たるから「生きててよかった」と言った。生きていないものも太陽に当たる。お弁当は、山菜の炊き込みご飯と卵焼きとポテトサラダ。図書館前の公園のベンチで食べた。
ハロルド・ピンター全集が欲しいんだけど、3分冊で1万円近くするからすぐには買えなくて、ハヤカワから出てる戯曲の文庫を借りて読む。最初の「いわばアラスカ」しか読んでないけど面白い。
ある人間の中にたくさんの思い出があって、思い出以上に思い出せない蓄積みたいなもの、本人からすればクズみたいなものがその人を作り出してて、そういうことがすごくよく分かる。何しろ感染症にかかって29年間眠ってた女が、その妹の夫(ずっと女を看病し続けていた)に、自分が昏睡状態になる前の話を延々聞かせる。それは本人にとって大切なことだとは限らない。とにかく思いついたことばっかり話してるみたいだ。で、話すというそのものが29年間を自ら物語ってる、あるいは物語ってるように見えちゃう。その全部がいい。思いついたことをそのまま話す女の顔。

業務スーパーで買い物する前後から喉と胸が苦しい。ヒステリー球かな。でも空気を飲み込みすぎたのかもしれない。そういう時がたまにあって、空気をたくさん飲み込んだと言うと人は笑うけど、これがもうめっちゃ痛い。痛みに堪えながら、三谷幸喜の『記憶にございません!』を見る。古畑任三郎を小学生の時に見て以来、三谷幸喜は好き。
夜は大根おろしと水菜と豚肉のうどんを小野寺に作ってもらう。一口飲み込むごとにかなり痛い。空気が溜まってるだけなら明日には治るんじゃないかと、願っているのか、確信があるのか。