今日は本当は『異端の鳥』という映画を下高井戸シネマで見る予定だったが、バスケをして泥だらけになってしまい、ユニクロに服を買いに行ったら間に合わなかった。
中華の「代一元」か焼き鳥屋「ソラナカ」に行くか迷ったけど、今日は「ソラナカ」へ。どっちも小学生の低学年の時に母親と行って以来、もう15年近く行っているお店だ。
その前に大江を読んで、今日の日記をサンマルクで書く。

焼き鳥はうまいし、お通しのキャベツが食べ放題なのもうれしい。そしてプチトマトがおいしい。今日は3本食べた。

家に帰ってお酒を飲みながら、イカの沖漬け。
快快の大道寺莉乃さんとzoom。彼女がやってる日記映画について話す。動画に映っている被写体らが、作品化しようとする大道寺の手を上回って生き生きしていて、かつ、動画を切り貼りする「手」がまざまざと浮かび上がってくるようだ。

父親から連絡が来る。「卒業できたのか」「仕事とかお金は大丈夫か?」と言われたので、正直に、「年末から修士論文を書いててバイトできなかったし、ライターの仕事も年度末の関係で滞ってて、収入の当てがない」と答えると、「ちゃんと仕事をしないと生活が安定しないぞ」と、常識的なことを言われた。それは分かってるが仕事が潰れているという話なのだが。

突然、精神が落ち込む。布団にもぐりこんで大江を開いたが読む気にならず、一昨日?昨日?書いた関田育子について、ちょっと放言すぎたかなと反省した、しているところに生西さんから連絡が来て、当の日記を読みましたと書いてくれて、ある側面についてはもっともだと思った、と言ってくれた。日記を書いている今この瞬間も、別の話をしている。
ところでおれは誰に向けて日記を書いてるのか、この日記があまり読まれていないことは WordPress の統計情報で分かる。でも読んでいる少数の人が、ごくたまに面白いと言ってくれたりする。かといって誰かに読んでもらったり、面白いと言ってもらうために書いているわけじゃ決してない。
自分にとってのエクリチュールを変えること、書くことと生きることの関係性を考えること。新人賞の選評、あるいは小説家になりたい人から小説家への質問に、「何を書くか」(自分にとって重要なモチーフをいかに見つけるか)についての言説をたまに見る。
何を書くか、制作にとってこれほど邪魔なものはない。日記なら、生きていれば書ける。誰にも見られず、ほとんど意見を言われないことは、生活のたのしみとして作ったものでも美術館に飾られてしまうピカソに比べれば、こんなに幸福なことはない。