今日は起きれなくて、小野寺の弁当を作れなかった。起きてからすでに覚えてない数時間を過ごした後、『五等分の花嫁∬』のアニメ版を最終回まで見た。学年一位の主人公が、成績が悪い五つ子の同学年女子の家庭教師をするなかでだんだん恋愛に発展していくという話で、これだけtwitterで色々炎上してる世の中でもこういう、男性のハーレム妄想的な作品が世に出回ってることに驚く。けど、「推し」ってこういう仕組みだよな。小学生の頃から少女漫画をかなり読んでたこともあって、ラブコメは結構好きなんだけど、登場人物に感情移入したり、肩入れしたりという志向が今でも全然ないから、いつまで経っても「推し」を持つ人の気持ちがわからない。

新宿に行って、失くした領収書の再発行をしてもらうためにビックカメラに行った後、新宿の紀伊國屋でぶらぶら。
『中世思想原典集成精選』がずらっと並んでたので、一巻の巻末エッセイを開いてみると、森元庸介が書いてて、思わずその場で立ち読み。これは15ページ弱くらいの文章だが、おれは遅読なので30分くらいはかかる。その間ずっと立ってると、それだけでもう腰が痛い!
その痛みで思い出したのだけど、実家の近所にはスタバが併設されてる大きなTSUTAYAがあって、部活がない日はレンタルの漫画を何時間も立ち読みしていた。漫画からの延長でちょっとだけ小説を読むこともあったりして、とにかくどの本を開いてもぱっと集中できていた。今はすぐに腰が痛くなるし、トイレにも行きたくなる。それにちょっと真ん中あたりのページを開いて、つまらなそうだったら読まない。面白そうだったら立ち読みすることなく買ってしまう。
おれはamazonでも結構本を買うけど、本が届いてもそのままロクに開きもせずに積ん読になることも多い。立ち読みはその真逆の行為だ。なんとかしてその本を読み切ってやろうという執念、あるいは少なくとも金は出さずに何かしらその本のエッセンスを頭の中に入れて帰ってやるぞという気合いのようなものが、おれの足腰を支える。と、そんな根性論を持ってるわけじゃないんだけど、それでも二、三時間本屋で立ち読みをしている人を、そもそも今はほとんど見かけない。世の中に積ん読のテクニック?に関する本はたくさんあるけど、立ち読みの方は全然見ない。それが経済とは切り離され、商品をダメにしてしまう恐れがあるからだろうか。しかしあまり語られないその分だけ、立ち読みの時間は鈍く光っている気がする。