何度か目が覚めたけど、起きるのがめんどくさくて14時頃にやっと起きる。朝ごはんを食べながら、Amazon primeで途中までしか見れていなかった『2001年宇宙の旅』の続きを見る。面白かった。これまでキューブリックはあんまり自分にはピンと来ず、『博士の異常な愛情』と『時計じかけのオレンジ』くらいしか見たことなかった。今回『2001年〜』を見たのは樫村晴香が群像に書いた「人間-でないもの キューブリック、タルコフスキー、二〇世紀を見る」を読んだから。タルコフスキーはキューブリック以上に苦手。

その後、吉祥寺オデヲンで『燃ゆる女の肖像』。

画家の話ということもあって、徹底した「見る」ことの映画。
画家マリアンヌの前に肖像画を描こうとした男に対し、エロイーズは一度も顔を見せなかった、という話から始まり、女中ソフィーの中絶手術の立会いで、顔をそむけるマリアンヌに向かって「見て」とエロイーズが言うシーンなど。
オルフェウスが冥府から妻を連れ戻す際に、決して振り向いてはいけないと言われたにも関わらず振り向いてしまったというシーンを、エロイーズはソフィーとマリアンヌの前で読み上げる。その理由について話し合うなかでマリアンヌは「彼は妻との思い出のために振り向いた」と、だいたいそのようなことを言った。この伏線は、マリアンヌがエロイーズの肖像画を描くという役目を果たして館から去る直前で、エロイーズに「振り向いてよ」と言われて振り向く、というふうにしっかり回収されてる。
時が経って、マリアンヌはクラシック演奏会で、天井桟敷の反対側に座るエロイーズを見つけるが、エロイーズのほうは決してマリアンヌの方を見ない(「私を見なかった」というセリフがこの映画の最後のセリフ)。その代わり、オーケストラに目を向けながらも号泣するエロイーズがクローズアップされて終わる。

神話を象徴的に導入し、かつ「見る」ことと愛することの徹底した描きぶり。こういうのは事前のプラン通りに作られた「傑作」という感じがする。完成度が高い、非の打ち所がない。この映画はほとんど女性しか出演せず、女性同士の愛を描いてるんだから、わりと政治的な意識も作り手たちのなかにあったんだろう(つまり、女性の生を男性主導の社会が決めたしきたりという枠組みに抑圧することへの批判)。でもなんというか、人物たちは物語の「お約束」から一歩も出ないまま、愛すべくして愛し、別れるべくして別れているように見える。それこそ本当に権力的なものであり、解放するべきものなのに。

マリアンヌは肖像画を描き終えたらエロイーズのもとを去るという「運命」にある。絵を描くのが仕事だから、終わったらさよならするのは当たり前だ。でもなんというか、その運命に向かってすべての人間が決断したり行動したりしている感じで、作中、主人公たちの意志は、運命を受け入れるというよりも、ただ定められた「運命」のなかに自分の生が組み込まれることに従っていると言ったほうがいい。もちろん、ここでの運命は愛し合うという逸脱も含む。

終わったあとは「カヤシマ」という個人経営のカフェレストラン?で、カレーオムライスとポークジンジャーのセットを食べる。みそ汁がめっちゃうまい!
あと、店員のお姉さんが素っ気なくてとてもいい。今はどこの店に行っても親切でつまらない。

家に帰って『NO PROGRESS』のnoteを更新し、ドストエフスキー『罪と罰』を読んでいると、この本をくれた村上さんからラインが来る。今ちょうどもらった本を読んでいたところだと言うと、『罪と罰』は高校生の頃に買ったものだと。『罪と罰』を買う高校生活、自分には想像もつかない。